momoは一時期、心理学系のお話に非常に興味があった。特に児童虐待の話やAC(アダルトチルドレン)などの話題にのめりこんだ時期が合った。
幼児・児童虐待とこのACにはある程度の関連があるとされている。そして、それを自分に投影していた時期があった。
momoは共働きの両親のもと高校卒業まで育てられた。それが悪意かどうかは別として、病気になると・体調が悪くて学校を休むと、不機嫌になりがちな両親だった。小学生のときは近所の診療所に「たった一人で置いていかれた」(自分のことは自分でしなさい・・・かもしれないが、親と一緒に病院にいるときは高額な治療なり処置がある可能性が高いときが多かった)。
この「親の反応」が、もしかしたら虐待ではないだろうか?という疑問だった。虐待は虐待を生む・・・と言われたりもするので、自分が親になることに対しては特に20代のころは恐怖があった。まあ実際にはそれ以降も「親にならずに」生きてきた。子供がいないことには不満はないし、いたらいたでそれなりの人生があったのかもしれない。
それが虐待であろうがなかろうが、momoは「大事にされる」ということを実感できない子供だった。だから、特に好きになった人には大事にされたい・・・と願う気持ちが、若いときは強かった。
ぢろさんは病気のオンパレードとは言わないが、結構入院も経験しているし、ご長男様は大事に育てられることをmomoの家族の中でも実感していたので、たぶん大事に育てられたんだと思う。
だから、momoはぢろさんの疾病に対して、大事にされるとしたらこんな事してもらえたらいいなぁ・・・と思うことを何でもしてきた。甘やかしている?と回りから思われているかもしれないが、それなりの基準で対応してきたと思う。傍からみるほど腎不全と共生するのは簡単なことではないから。
入院したら独りにされたくないmomo
毎日今日の出来事を話していたように入院しても話がしたいmomo
ご飯を一緒でないと食べられなくなるmomo
どんなちっちゃなことでも 一緒に笑いたいmomo
だから、入院しても1日もあけずに通い続ける。面会時間ぎりぎりまで病院で一緒にいる。
# ぢろさんは煩いと思うんだろうか?
# 大事にされ続けてきたご長男様は。
大事に育てられたぢろさんは、逆に親の過保護?が多かったのかもしれない。放って置くこと(無関心)も、過保護も、虐待の一部だと言うことを思えば、わたしたちはお互いに無いもの同士が暮らしているのかもしれない。
味方になってくれる?momoの。
いいよ、まかしとき。
そう言ってくれたのがぢろさんだった。
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ぢろさんは過保護だったかもしれない家庭の中で、唯ひとつ、この期に及んでも影を落とした言葉があった。
ぢろさんの家庭は両親が薬剤師だったこともあり、疾病への知識があった。まだ幼いころの入院時に御父さんが言った言葉がずっとずっと「透析」への恐怖をはぐくむ羽目になったんだと思う。
病室の少年を指して「ああ、あの子は腎臓が悪いんだよ。顔色も悪いし。長生きできないな、ああいう子は」
この言葉の恐怖とぢろさんが向かい合うことになった大学4年の夏・・・・それから幾年経ったんだろう。
momoはぢろさんのそばでぢろさんの味方であり続けたいと思う。ぢろさんがmomoにそう言ってくれたように。